松山市の中心部にある松山城は、加藤嘉明によって四半世紀もの歳月をかけて築城されたものです。
今では、「現存12天守」のひとつとして貴重な建造物となっています。また、攻守の機能に優れた連立式天守で難攻不落の城としても有名です。
松山城に仕掛けられた様々な細工は当時の人々の生きる知恵が詰まっており、戦国時代の様子を思い起こさせてくれます。
今回はその松山城の観光ガイドとオススメ観光ルート、事前に知りたい見どころについて紹介します。
▼松山城への行き方についてはこちらの記事で詳しくまとめています。
【松山城】観光ガイドとオススメ観光ルート!見どころ解説!
天守閣までの道のりにある松山城の見どころを紹介していきます。
- 松山城の石垣
- 登り石垣
- 戸無門
- 筒井門・隠門
- 本丸広場・井戸
- 紫竹門
- 野原櫓
- 乾門・絶景ポイント
【松山城】オススメ半日観光ルート
松山城公式サイトが推奨している観光コースは愛媛県庁横からスタートし、二の丸庭園、黒門口登城道を通り県庁裏登城道から戻るルートで、松山城をくまなく楽しめる玄人向けのコースです。
ロープウェイ側から来て「天守閣」を見に来たという方は、通常コースで本丸広場と天守閣まで行った後「乾門」から出て天守閣の裏通りを歩き、ロープウェイ乗り場へ戻るコースがオススメです。
松山城の本丸広場と天守閣周辺から同じ道を通らずに一周することができます。
【松山城観光ガイド】 歴代の石垣と刻印(サイン)
松山城の石垣は初期のころは「野面積み」、戦国時代辺りから「打ち込みはぎ」そして江戸時代以降は技術が進歩して「切り込みはぎ」へと変わっていきました。
こちらの「切り込みはぎ」の特徴は側面は切り落とされているものの石の形はまばらで隙間を小さな石で埋めているところです。
松山城の低い位置は「打ち込みはぎ」、天守に近づいていくと「切り込みはぎ」へと変わっていきます。
石をよく見ると割るときに出来た痕跡が残っていて当時の作業の様子がうかがえます。石の「目」に沿って割らないときれいに割ることが困難だったそうです。
そのほか、さまざまな模様の刻印があります。これは石材のグループ分けや石工達の作業範囲の区切りのために付けられた石工組頭のサインと言われています。(諸説あり)
【松山城観光ガイド】 県庁裏登城道「登り石垣」
松山城では丘陵斜面からの大手城道への侵入を防ぐために「登り石垣」が設けられています。
本丸と天守は山の上にありますが、兵の居住建物等は補給口に近い平地にあるためで、この手法は豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、日本遠征軍の倭城築城で用いたものです。
松山城の登り石垣を見るには「県庁裏登城道(➡行き方)」を通るのが唯一の方法です。
【松山城観光ガイド】 門の仕掛け「戸無門」
敵が黒門口から攻めてきたときに最初に待ち受ける「戸無門」。
戸無門はその名の通り門はあるけれども扉がありません。一方まっすぐ進んだ先の「中ノ門」には扉があります。
勢いよく攻めてきた敵はここで迷いが生じ、扉がある方が天守閣へつながる道であろう思い、「中ノ門」と進んでみるとそこは「行きどまり」という仕掛け。
最初から開いていた「戸無門」が正解の道であったのです。これにより部隊の陣形や速度、勢いをそぐことにつながりました。
【松山城観光ガイド】 筒井門の狭間と隠門
勢いをそがれ、戸無門から入ってきた敵はこの筒井門前で広場にたまります。
そこを櫓の上から「狭間」から弓矢で攻撃します。
集中砲火を受けるも逃げ道はありません。逃げれても狭間からの弓矢が届かない石垣の真下にへばりつくしかないです。
最後に筒井門の奥に隠されていた「隠門」から松山軍が出てきて狭間の下にいる敵を撃退するというのが松山城の戦略です。
上から見た図。左の戸無門から来た敵は赤の場所にたまり、狭間から狙われます。青色に避難したところを右側の隠門から出てきた松山軍が攻撃するという仕組み。
非常によくできた戦略で難攻不落の城であったことがよくわかります。
【松山城観光ガイド】 筒井門の一枚板の楠
松山城最大の門である筒井門は1949年に放火で焼けており、現在あるものは1971年に再建されたもの。
筒井門の扉には一枚板の楠が使われています。これは当時宮内庁の予備資材から100万円で調達したそうです。
【松山城観光ガイド】 桜の名所「本丸広場」
現在は桜の名所としても有名な松山城本丸広場ですが、当時は何もない更地だったそうです。その理由は敵が攻めてきたときに見えやすくするためなのだそう。
隠れるものがなければ狙われやすくうかつに攻め入ることは出来なくなるということです。
【松山城】本丸広場で唯一の井戸
松山城の本丸広場には井戸が設置されています。ですが、この山の上から穴を掘ったというわけではありません。
築城当時この辺りは二つの山の谷にあたり、谷の底から水が湧き出ていました。その周辺を埋め立てて同じ高さ作り上げたそうです。
【松山城観光ガイド】 天守閣裏観光ルート
【松山城天守閣】入場料金
天守閣へは入場料510円、小学校以下は150円で入れます。
ここまで来たら必ず天守閣へ行きましょう。料金以上の価値はあります。
天守閣周辺の美しい切り込みはぎもチェックしておきましょう。
▼天守閣内部についてはこちらの記事にまとめています。
松山城天守閣の裏観光ルート
天守閣を見学した後は「紫竹門」へ向かい、裏道を通ってロープウェイ乗り場へ戻りましょう。
【松山城観光ガイド】 逆扉の紫竹門
紫竹門は竹の茂みに隠れて、本丸広場方面を観察する仕組みも持つのでこの名がつきました。
本丸広場と搦手門(裏門)を仕切る門ですが扉は逆に作られており、オレンジの部分は内向きの狭間、青は外向きの狭間になっています。
これはもし搦手門(裏門)が破られた場合に紫竹門を閉じて攻められることを防ぐという役割がありました。
【松山城観光ガイド】 最後は「塀」を武器にする仕組み
狭間を要した塀にはほかの城にはない支えがついており、塀は木の上に乗っかっている独特なつくりになっています。
これは緊急時には支えを外して塀を上から落として攻撃できるようにしたものです。
松山城の塀はどこもこのような造りです。現在はコンクリートで補強されています。
【国の重要文化財】野原櫓
松山城の本丸の北に位置する野原櫓は築城時に裏手の防備のために建築されたものです。
そして「望楼型天守の元」となったといわれています。
望楼型は上部と下部が違う構造で、入母屋造の下層部の上に、物見櫓が乗っているタイプの天守です。
この櫓内には中央に通し柱がなく、梁が通っているだけで、その上に物見櫓を載せた造りになっており、全国で唯一の現存事例であり貴重な建物です。
建物は1591年から1615年の松山城築城時に建設されたと伝えられ、城内最古の建築物の一つと考えられています。
【松山城観光ルート】 絶景ポイント「乾門」
松山城を観光される方で紫竹門から野原櫓まで見て引き返す方が多いそうですが、乾門から出たところが絶景ポイントです。
ここからの景色は連立式天守が見え、二段構えの石垣、そして乾門と主要な建物が一堂に会しているベストポジション。しかも観光客が少ないので建物だけ写すことが出来ます。
テレビに出ている有名な方もここのアングルがベストだと話していたそうです。
【松山城天守閣の裏観光ルート】手つかずの石垣
本丸公園へ戻らずに乾門を出て天守閣の裏の道を通ってロープウェイ乗り場へ戻りましょう。ここでは苔の生えた当時のままの打ち込みはぎの石垣を見ることができます。
一見、なだらかな斜面で登れそうかと思いきや上に行くと90度に反り返っています。これも侵入できないようにする工夫です。現在は地盤の変化で中腹が盛り上がってきているのだそう。
ピンクが美しい!桜の一種「陽光」
3月末ごろの松山城はソメイヨシノの開花前でしたが、「陽光」という美しい桜が咲いています。少し早いタイミングで咲くらしく、ソメイヨシノよりピンクが鮮やかでした。
この陽光は、戦時中、青年学校で教師だった高岡正明さんが「戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と、30年を賭けて桜の新品種開発を行ったそうです。
愛媛県東温市で生まれ92歳で亡くなった「知られざる偉人」高岡正明氏。この生涯をモデルに笹野高史さんが主演で映画化され、多くの賞を受賞しています。➡「陽光桜」
【松山城観光ガイド】ボランティアガイドさんの案内サービス
お城の天守閣とは攻められてきたときに籠城する場所であって、防御においての要は外の城壁であり、門です。難攻不落といわれただけあって構造は非常に複雑で巧妙な仕掛けが施されていました。
自分たちだけで観光してはわからない事柄もボランティアガイドさんに案内してもらうと理解が一層深まります。
松山城ではボランティアガイドさんがロープウェイを降りた所(長者ヶ平)で待機されているのでガイドのお願いをしてみるのも良さそうです。詳細はこちら➡公式HP
滞在予定時間を伝えるとそれに合わせたプランでガイドしてくれるのでとても親切です。
▼松山城についてこちらの関連記事もどうぞ。