松山城は本丸を勝山山頂に構える平山城です。
日本三大平山城にも数えられ、天守は現存天守12城の一つであり、層塔型の連立式天守です。
「日本100名城」にも選ばれており、「日本さくら名所100選」や「日本の歴史公園100選」の指定も受けています。
加藤嘉明によって四半世紀もの歳月をかけて築城され、攻守の機能に優れた難攻不落の城としても有名です。
お城好きでなくとも行っておきたい松山の観光名所「松山城」で今回はその天守閣の内部や外観に施された仕掛け、場内展示についてご紹介していきます。
▼松山城への行き方と観光所要時間などについてはこちらの記事をご覧ください。
【層塔型連立式天守】松山城外観の仕掛け
【松山城】加藤嘉明による築城
松山城は、加藤嘉明が家康より許可を得て、慶長7年(1602)から四半世紀もの歳月をかけて築城しました。攻守の機能に優れた連立式天守で難攻不落の城としても有名です。
松山城は1784年に落雷によって焼失しています。現在の建物は1854年に再建されたものです。
貴重な現存12天守
日本100名城に選ばれたお城が四国には9城あり、そのうちの5城が愛媛県にあります。1940年代まで20ほどの天守が残っていましたが、 第二次世界大戦の空襲などで7城の天守が焼失しました。
今、日本に残る現存12天守のうち4城が四国にあり、その中でも広大なお城が松山城です。岡山県の備中松山城などと区別するために、かつて愛媛は伊予の国であったことから伊予松山城と呼ばれることもあります。
21棟もの重要文化財があり、「現存12天守」のうちのひとつとしても貴重な建造物です。
【松山城天守閣】入場料金
松山城天守閣入場料:大人520円 小学校以下160円
【松山城の石垣】天守閣の美しい「切り込みはぎ」
松山城天守閣周辺の石垣は非常に美しい「切り込みはぎ」で造られています。江戸の末期ごろに作成されたもの。
松山城の麓の「打ち込みはぎ」は江戸の初期のもので時代としては200年ほどの差があります。現地でその違いを見比べてみてください。
そして天守閣は本壇の地盤面から4m高く石垣を築いた上に構築されています。
【城内部から攻撃】松山城の2種類の「石落とし」
松山城には2種類の石落としが設けられています。写真左側は「戸袋型」の石落とし、右側が「腰袴式」です。
石落としは侵入してくる敵に対して石だけでなく、汚物や煮え湯なども落としたといわれています。
内部から見た「石落とし」
城外から見ていた石落としを内部から見てみましょう。こちらの隙間から石などを落として攻撃します。
上から石垣をめがけて落とすことによって、石が跳ね返り、拡散して攻撃できたのだそう。
松山城天守閣入口「着見櫓」
城においては「月見櫓」と表記され、字のごとく「月を眺める」ための櫓が多い中、この櫓は戦場から帰還した武士を見るための櫓として機能していました。
櫓からこのように監視して、敵か味方か判断し、戦のあとに戻った武士の人数確認などをしていたそうです。
松山城天守閣の「七曲り(ななまがり)」
天守閣まで攻め込まれても簡単に天守まで来ることが出来ないように「七曲り」という仕掛けが施されています。これは入り口から90度に8回曲がって到達できるというもので敵が攻め入った時に駆け抜ける勢いを殺す効果があります。
七曲りに関して6回曲りでも8回曲りでも「七曲り」です。
【松山城】防御性に特化した連立式天守
松山城は大天守が各櫓とつながれた「連立式天守」です。これは防御に秀でた構造で、内側に中庭のような空間に敵を誘い込めば、櫓群から一斉射撃を仕掛けることができます。松山城のほかにも姫路城・和歌山城がこのようで、どれも防御性としては最も高い配置となっています。
見学される際も外に出ずに天守まで見ることが出来ます。
【現存12天守】松山城天守閣内部の展示解説!
【松山城の内部展示】太刀(たち)と刀(かたな)
松山城の内部には当時の刀が展示されています。まぎらわしい「太刀(たち)」と「刀(かたな)」の違いは腰から抜くときに刃が上向きなのか下向きなのかということです。
「太刀は履くもの」と言われ通常、鎧甲冑の外に装着します。反対に「刀は差すもの」といわれ、袴の帯に差す、体の一部として身に着けるものとして区別されました。
刀は太刀よりも短いので刃を上向きで抜くことができ、すぐに戦闘態勢に入れる利点がありました。時代劇で見るのは「刀」が多いですね。
太刀と刀によって銘の打ち方と展示方法が変わります。左は刃が上向きで「刀(かたな)」、右は刃が下向きの「太刀(たち)」になります。
【松山城の内部展示】実際の刀の重さを体感
刀の重さを実際に体験できるコーナーがあります。本物は相当な重さなので鍛えていないと容易に振り回すことはできないでしょう。
火縄銃体験コーナー
火縄銃を使って実際に小さい狭間から敵を狙ってみましょう。これも非常に技術が高いことがわかります。ちなみに「火ぶたを切る」という戦の始まりに使われるこの言葉は火縄銃から由来しているのだそう。
【松山城内部展示】当時の木造建築の作り方
当時の木造建築は釘を使わずに特殊な形にかたどってはめ込む方法で造られていました。実際にその構造を体験できます。
松山城の築城主「加藤嘉明」の甲冑
松山城を築城した加藤嘉明がつけていた甲冑が展示されています。
注目は背中に着いている筒のようなもの。これに旗を刺して戦のときに出陣したのですが、おそらく加藤嘉明が上級武士の時代の鎧であると推測できます。
流浪の身から成りあがった加藤嘉明ですからここまで来るのにも大変時間がかかったようです。
天守上部から見る「二の丸」「堀之内」
城主などが通常の生活をしていたのがこの二の丸です。現在は部屋の形に区切られて池に代わっています。そして左上にある池が堀之内。
【松山城】層塔型天守の特徴「通し柱」
天守内には4本の通し柱が走っています。下層でははっきりとわかりますが、上層に行くと見えなくなってしまいます。
これは上層部が小さく設計されているためで、建物の外に出ていて外壁の一部と変わっています。下層部から太さの同じ4本の柱を注目しながら上に行ってみてください。
【松山城】天守閣内部は貴重な木造の連立式天守
かつて天守閣は戦国時代に流行し、多くの大名が相次いで天守閣を造るようになりました。江戸幕府が行った法整備により次第に天守閣の意義が薄れていくも現代まで残る天守閣が戦国時代の様子を思い起こさせてくれます。
現存している木造天守として松山城は貴重であり、連立式天守の防御に長けた造りを攻められた時のことを考えながら見学すると良さそうです。
天守閣内では甲冑体験ができるのでお子さん連れでも楽しめます。さらに松山市の近郊には人気観光地が数多くので旅行に訪れた際は時間をかけて巡ってみましょう。